仮想通貨なクソネミ日記 ( ˘ω˘)

クソネミが色々考えたりするブログ

【Part 4:諦めたらそこで試合終了なの?】天才賞とオリンピアン

こんばんイブニング (´・ω・`)

 

はてさて、前回は普通のサラリーマンから見た「GRIT やり抜く力」をささーっとまとめました。

 

昨日思ったのは、やり抜く力、諦める力を見るとき、「そもそも才能ってなんだろう」というのも、併せて考えないといかんなと。

 

あの選手は〜、とか、あのバンドは〜、という視点ではなく、「自分にとって才能とは何を意味するのか」

 

単品でも面白いのですが、今度は、一見やり抜くことと相反する「諦める力」を見ていきたいと思いませう。

 

諦める力ってなんで候。

 

いざ読んでみたら。そうなんだよ!と思う部分が多くて、ちょっと贔屓しちゃってる気が…

でもいいんです!!

ブログですから

(`・ω・´)

 

ここから要約〜

 

印象に残ったところだけパパっといきませう。

 

周りの応援には責任がない。

これは…そうなんだよな。本当にそう。

自分も無闇に応援していた日々がありました。

あれは遠い夏の日…( ˘ω˘)

 

「諦める」の語源は、「明らめる」

仏教では、むしろポジティブなイメージを持つ言葉なんだとか。出来ること、出来ないことを「明らかにしていく=諦める」と考えると、清々しい。

 

そういえば、成功者って見えやすいけど、その背後にこんなに失敗してる人がいます!みたいなのも気になるるるー。

 

「憧れの罠」

これ斬新。簡単にいうと、憧れとコンプレックスを混ぜちゃいかんぞと。

 

例えば、為末氏は短距離を走っている時、ルイスの走りを見て、「自分の延長線上に、ルイスがいる気がしない」と思われたそう。

 

さらっと書いてるが、その気づきがすごいな!俺もあんな風になるぜ!と突き進んでしまったのは若かりし僕…。

  

これ、アンジェラ・ダックワースの、「お手本・ロールモデルを見つけよう」と比べると、中々面白い気がしてきました!

 

目的さえ諦めなければ、手段は変えてもいいのではないだろうか。

うーん、意味は分かるけど、腑落ちはしてない…。これを言葉にせんとな。

 

できないことの数が増えるだけ、できることがより深くなる。

ん?哲学系のにおいがプンプンしやがるぜ…みんな、ここからは慎重に進むんだ(`・ω・´)

 

まぁでもそりゃそうか。全ての領域で100点をとるのは無理だもんね。

 

運がよかったり要領がよかったりして成功した人の方が実際は多いのではないだろうか。

 運は皆に、平等に不確定!!

 

長くやりつづけることは賞賛されることはあっても、批判されることはまずない。

 確かに、「あいつまだやってるのかよ!早く辞めろ!!」なんてあんまり聞きませんね。政治の世界ぐらいでしょうか。

 

成功する確率の低い若者には「きみは、この先に進んでも成功するのは無理だよ」と言ってあげる大人が必要なのではないだろうか。

 

これは本当に、未だに悩むテーマで、「言うは易し~」の世界。子供や教え子、友人に、面と向かっていうのは僕には難しいです。

へタレなので。

 

「プロ10人からの容赦ない分析結果、お伝えします。新サービス【Genius】!!」

 

みたいなのあったら楽しい。

 

・成長と成功は違う。この違いに気付かないふりをする罪は大きいと思う。

違うのは明らか。でも、成長したその延長線上に成功を描いてしまっている気がする、自分の場合。そういえば、自分にとって成功ってなんだろ。おっと、自己啓発臭くなる…。

 

努力には、「どれだけ」がんばるか以外に、「何を」がんばるか、「どう」がんばるか、という方向性があるということだ。

これはアンジェラ先生と同じ意見ですな。 

 

日本では指導者が、何をがんばるか、どうがんばるかまで決めてくれることが多い。

そしてそれが正しくない場合も多々ある、と。

ブラック部活に興味ある人はうなずきそうですね。 

 

「陸上なんて、いつやめたっていいのよ」。僕が真剣に取り組んでいる最中にも、母のスタンスは変わらなかった。

小さい頃、僕も母親にずっと同じことを言われてきました。部活、受験、就職、社会人。。。その言葉があったからこそ踏ん張れたというか、「いつでもやめていいなら 、もうちょいやってみるか」みたいな。

 

両親は偉大ですな。

 

スタープレーヤーは、努力を努力と思わず、努力そのものが楽しいという星の下に生まれてきていることがほとんどだ。才能があると思えているところからスタートしている努力と、自分にはまったく才能がないとしか思えないところからスタートしている努力は、苦しさがまったく違うのではないだろうか。

きましたね、努力。アンジェラ先生ならばなんとお答えするでしょうか。

 

苦痛のなかで努力しているときは「がんばった」という感覚が強くなる。それがこころの支えにもなる。ただ、がんばったという満足感と成果とは別物だ。

この見極めがな...別物だけど、関係もしそうな。ここは要考察!! 

 

人々を"平等原理主義"に駆り立てるのは何だろうか。僕は「かわいそう」と「羨ましい」の感覚だと思っている。自分を基準にして「自分より不幸でかわいそう」な人たちを救うべきだと考える一方で、「自分たちよりいい思いをしていて羨ましい」人たちからはもっと取るべきだと考えるのだ。

ここは全然そう思わないかな。 「羨ましい」と思うのって、不幸へ通じる道だと思っているので。

 

「可能性は無限だ」。こういう考え方を完全に否定するつもりはないけれど、だめなものはだめ、というのもひとつの優しさである。

おしい!! 「完全に否定しない」のか!!

Part 1~2で、可能性は無限なのかという疑問は持ってましたが。。。

 

本のほとんどは「ズバズバッ!」と意見を述べていく感じなのに、ここは意外と中立的。

 

ちなみに僕は可能性無限大には賛成してないです。それはファンタジーの世界でしょ。

 

~ここまで要約

 

ふむふむ、良さげにアンジェラさん・為末さんで、重複してる部分と相反する部分が出てきましたね。ここをサラリーマンという火であぶりだして、考察を深めてみたいですね。

 

結論は全然見えてませんし、皆が納得する答えもないでしょう。

でも、そんなことだからこそ「考える」ことが必要な気がしてます。

気がしてます!! (`・ω・´)

 

次回、比較内容をまとめて、BUNSEKIして参りましょう。

 

グッバイなら~(´・ω・‘)